私の専門は宗教社会学で、日本の近現代仏教の調査、研究をしています。特に「地域社会と寺院」の関係に関心があります。藤本頼生先生の神社神道の社会貢献活動の研究とも重なりますが、仏教の社会活動や社会貢献活動の研究も行なっています。佛教大学には 13年前に赴任し、そこから浄土宗の寺院と付き合いができ、浄土宗の滋賀教区で調査を続けています。
現代仏教研究の動向はいろいろありますが、きょうは仏教の社会活動と過疎化の話に限定し、ごく簡単に紹介します。
まず、仏教の社会活動についてです。大正大学の BSR 推進センターの小川有閑先生をはじめ、多くの研究者が 2000 年代以降の仏教者や仏教教団、寺院の社会活動に着目しています。学界もそうですが、仏教界、出版界もそうです。そのきっかけになったのが、2004年に刊行された上田紀行先生の『がんばれ仏教!』(NHK ブックス)という本であることはご存じの方が多いと思います。その背景には、国内外での Engaged Buddhism(社会参加仏教)研究や、ホセ・カサノヴァに代表される公共宗教論の進展があります。さらに、藤本先生と稲葉圭信先生、私やほかのメンバーで進めてきた、2000 年代半ば以降「宗教の社会貢献活動」研究も寄与しているかと思います。そして、先ほど冒頭でご紹介がありました、庭野平和財団の「宗教団体の社会貢献活動に関する調査」によって質問紙調査の貴重な結果が提供されています。
その後、磯村健太郎氏の『ルポ 仏教、貧困・自殺に挑む』(岩波書店、2011 年)や臨床仏教研究所編『社会貢献する仏教者たち』(白馬社、2012 年)も刊行されました。また、この後に報告をされる藤丸智雄先生が編集した『本願寺白熱教室』(法藏館、2015年)や、私が編集した『ともに生きる仏教』(ちくま新書、2019 年)など、お寺の社会活動を当事者と研究者が紹介した本、川又俊則先生が執筆されている『仏教の底力』(明石書店、2020 年)という本などが続々と出版されています。
こうした研究の問題意識として、「宗教と公共空間」「日本仏教の公共的機能」「お寺の公共性」とか「お寺の公益性」という問題があり、こうした背景の下にこれらの研究が出てきているのだろうと思います。むしろ、そういう問題意識の下に実際に現場で活動している仏教者の方々がいて、それを研究している研究者がいるという構図であろうかと思います。
次は、「過疎化と寺院」「過疎地と寺院」に関する研究です。これは、教団による研究も含めて紹介します。
地域社会の過疎化、少子高齢化の進展に伴う寺院消滅の予測が問題視されています。この領域は、いわゆる「地域社会と宗教」の関係の研究に位置づけられます。この研究は戦前から見られ、戦後も一貫して行われてきた研究ですが、その延長線上に特に 1980 年代以降、「過疎化と寺院」「過疎地と寺院」の研究が始まります。
過疎問題自体は、政府によって、1960 年以降、問題化されてきましたが、仏教界や仏教研究者の間で問題として認識されるようになったのは、1980 年代以降です。石井研士先生は、2015 年の『宗務時報』120 号に収録された「宗教法人と地方の人口減少」という論考で、2040 年までに宗教法人の三分の一は消滅する可能性があると指摘されています。
ジャーナリストであり、僧籍を持つ鵜飼秀徳氏による『寺院消滅』(日経 BP 社、2015年)という有名な本によると、やはり将来的に三割から四割の寺院が消滅する可能性が指摘されています。地域社会の過疎化とか、限界集落化、少子高齢化や人口減少によって、日本社会が大きく変動している中で、それに伴い宗教のあり方も大きく変化し、「過疎化と寺院」「過疎地と寺院」の問題が起きているという状況だということです。
これを図式化すると、日本社会全体が構造変動を起こし、大都市へ人口集中、過密化が起こるいっぽうで地方の過疎化、衰退化が起こり、それが寺院に影響しているということです。
きょうは、過疎化の紹介のみですが、都市の過密化における寺院のあり方というのも研究をしなくてはいけない問題です。過密化している都市の一部では、寺院の檀家が増えているという現状がみられますが、それに関しては、きょうは省きます。
ご存じの方も多いと思いますが、1988 年に NHK 特集『寺が消える』が放送されました。島根の浄土真宗本願寺派の寺院が廃寺になるというドキュメンタリーで、数年前に再放送がありました。この番組に象徴されるように、すでに 1980 年代後半に「過疎化と寺院」ということが問題になっていました。
この問題については、特に日蓮宗が率先して日蓮宗寺院の過疎問題の実態調査を1980 年代に始めます。そういった動向を踏まえて、1980 年代末以降、仏教界と学界で、「過疎化と寺院」や「過疎地と寺院」、あるいは「過疎地域と寺院」などと言い方はいろいろありますが、研究が始まりました。2000 年代以降にそれが本格化するということが、今回、いろいろと論文を調べてみて分かりました。
例えば、各宗派の学術大会で発表された要旨も含めると、この問題を扱った論文がかなり多くみられます。
1989 年の日蓮宗現代宗教研究所(現宗研)の、『過疎地寺院調査報告書』が、この問題に関する宗派としての取り組みとしての嚆矢になりますが、これ以降、各宗派で調査、研究がされています。
ただし、このリストは曹洞宗、日蓮宗、真宗大谷派の研究が中心です。
ほかの宗派も研究が進んでいると思いますが、今回は集めることができず、特に相澤秀生先生の論文を中心に、いくつかの限定された宗派の関係者が出している論文をピックア ップして並べてみました。このリストからでも、この問題に関する研究成果がこの 10 年で続々と発表されているということが分かりました。その研究の中心に相澤先生や川又先生がいらっしゃるということもよくわかりました。
さらに付言すると、過疎問題を含む現代日本の「地域社会と寺院」に関する学術研究があまり多くないのですが、桜井義秀先生と川又先生が編集をされた『人口減少社会と寺院』(法藏館、2016 年)と、先ほど紹介された相澤先生と川又先生が編集した『岐路に立つ仏教寺院』(法藏館、2019 年)があります。これらの論文集は、過疎の問題を考える上でも大事な書籍と思います。
仏教界の過疎対策は、冬月律先生が「過疎と宗教」の論文(『人口減少社会と寺院』所収)で分かりやすくまとめています。それによると、各宗派で過疎対策の本部を設置し実態調査などを通じて、さまざまな計画が立てられています。その計画に基づいて、いろいろな活動がなされるということが各宗派に共通をしています。さらに日蓮宗以外にも本願寺派と大谷派で報告書が出ています。曹洞宗では宗勢調査の報告書のなかで、この問題が触れられていることが、冬月先生によって紹介されています。
石井先生から先ほど紹介されたとおり、宗勢調査自体はさまざまな宗派で行なわれているため、どの宗派もやはり実態調査をして対策を立てているということがわかります。
さらに象徴的なのは、2015 年に真宗大谷派と本願寺派が、過疎問題連絡懇談会を発足させ、多数の宗派や、さまざまな宗教連合体が参加し、協力し合って情報交換、情報共有をしながら、この問題について検討し、合同調査をしていることです。宗派を超えて対応が図られているということです。この点は、藤丸先生から言及があるかもしれません。
また大谷大学の真宗総合研究所は過疎問題を考えるプロジェクトを立ち上げ、浄土宗の総合研究所は 2008 年度から過疎地域寺院の調査の研究をし、2016 年に浄土宗の総合研究所の編集で『過疎地域における寺院に関する研究』という報告書を刊行しています。これは、インターネット上で見ることもできます。
『中外日報』でも過疎地寺院問題の連載記事が、2019 年から 20 年にかけて連載されています。また『佛教タイムズ』でも、この問題はよく取り上げられています。
最後に3点挙げます。先行研究を参照し、それらを根拠としています。相澤先生から指摘がありましたが、2030 年には兼務寺院と無住寺院が、おそらくさらに増加するであろうということは、間違いないと思います。
仏教研究の視点では、兼務寺院や無住寺院の研究というのは、そんなに多くありません。いま駒澤大学の専任講師の徳野崇行先生が「仏教諸宗派における兼務・無住寺院数の推移」(『宗教学論集』24 号)という 2005 年の論文で、天台宗、真言宗智山派、真言宗豊山派、浄土宗、黄檗宗、日蓮宗を事例として分析しています。
これは、各宗派の寺院年鑑をもとに算出をしています。これが、まず1点目の兼務寺院と無住寺院の問題です。
2 点目は、これも相澤論文による指摘になりますが、「寺檀関係の希薄化と信仰」の関係の問題です。相澤先生によると、寺檀関係は親などの身近な人の死を接点として、再生産されてきましたが、若い世代の檀信徒の意見を見れば、これまでと同じように寺檀関係が引き継がれるという保証はないとのこと。つまり、これまでは寺檀関係と死者儀礼が結び付いていましたが、葬儀のあり方もどんどん簡素化しています。特に今、コロナのなかで葬儀の簡素化が進み、社会の個人化も進み、少子化も進んでいくであろうということを考えると、寺檀関係の希薄化もさらに進むのではないかということが推測できると思います。
さらに地域の過疎化が進めば、檀家数自体の減少も考えられ、その対策を、各宗派が熟考している現状だと思います。ただ、葬儀自体は、いまの日本社会では、9 割が仏式を選んでいるという状況ですから、決して、「葬儀と日本人」の関係が切れてしまったわけではないため、その関係性をどう考えるかという点が大事ではないかなという気がします。
3 点目は非常に大きな話になります。仏教というのは、教えのレベル、組織のレベル、お寺のレベルと、いろいろなレベルがあるわけですが、「仏教と日本人」の関係自体というのは、良好でやはり人気があります。特に、時代が危機感を強めていけばいくほど、仏教にシンパシーを抱く人が増えているため、近現代仏教の研究者としては研究の手ごたえがあります。いま、新書で仏教関係の本が続々と出版され、人気があると出版関係者から伺っています。また、大学で仏教を学んだり、ネットを通じて仏教情報を入手するという形で、お寺の外で、仏教はそれなりに需要があります。その時、「お寺と日本人」の関係はどうなのかということが、問題になるのだろうと思います。その関係の持続のためには、寺院と檀家、寺院と檀家以外の人々、寺院と地域社会のつながりを継続的に強化するための仕組みが不可欠だろうと思います。
以上を踏まえて、問題提起だけですが、あえて大きい問いを投げかけます。現代日本でなぜ、お寺が必要なのかということは、やはり問われてしかるべきだろうと思います。