「日本宗教史から見た新宗教の将来」

新宗教 大正大学 寺田喜朗

一口に新宗教といっても『新宗教事典』には 342 もの教団が紹介されています。しかも新宗教教団では、先ほど紹介があった曹洞宗、浄土真宗のような人口減少をめぐるまとまった調査はなされていません。研究者による調査も、渡辺雅子先生が金光教と立正佼成会を扱った 2014 年の論文が唯一の成果と思われます。私自身もコロナ禍の影響もあり、各教団が直面している様々な人口問題に接近する調査研究が十分にできていない状況です。

新宗教(19世半ば以降に台頭した)

そこで、今回は石井先生に頂いた宿題に答える形で報告させていただきます。高度経済成長期に新宗教は伸びたわけですが、それを逆照射することで、つまり今と当時とどう違うのか、ということを論じることによって新宗教の未来を考えてみたいと思います。

新宗教は、伝統宗教と比較したとき、民衆主体の在家主義が特徴といえます。とりわけ女性、特に主婦の活躍が目立ちます。来世志向ではなく現世志向(現世主義)、平易主義・積極主義という特徴もあります。さらにヨーロッパやアメリカの新宗教と異なる点は、通俗的な価値観や他宗教との妥協を拒否する、いわゆるセクト的性格(唯一正統意識に基づく排他性・独善性)が希薄で、(一部の例外を除き)伝統宗教と友好的な関係を維持していることも大きな特徴といえます。

世界的に見たとき、日本の新宗教は、数の上でも規模の上でも非常に多く、大きいということが特徴として指摘できます。ロドニー・スタークというアメリカの宗教社会学者が「1,000 の宗教運動があったとして、10 万人の信者を惹きつけ、一世紀続く教団があるとしたら、それは1つぐらいだろう」と言っていますが、日本にはそういう教団がたくさんあるわけです。そして、それらの教団は高度経済成長期に大規模化したという共通点があります。

高度経済成長期と新宗教

新宗教はたくさんあるので、それらを、いくつかのタイプに分けて論じる議論(類型論)もあります。今日の議論で念頭に置くのは、森岡清美先生が提唱された「おやこモデル」「なかまモデル」というものです。導きの親子関係でタテに広がっていく「おやこモデル」の教団と、最寄り原則のローカル組織を中央本部が統括する「なかまモデル」の教団という分け方です。ここでは、タテとヨコの2つの組織原理があるということを押さえて先に進みます。

新宗教は幕末からあるわけですが、敗戦後、とりわけ高度経済成長期に多くの教団は大規模化しました。そのなかでも新宗教の両横綱といわれる立正佼成会と創価学会の大躍進は特筆すべきものでした。

高度経済成長期とは、どういう時代だったのか。これを簡単に押さえておきます。まず就業構造が大きく変わったということがあります。

高度経済成長期における就業構造の変化

農林水産業に従事している人口が急激に減って、第二次・第三次産業人口が急増しました。第一次産業人口というのは、イエやムラを介して寺や神社、つまり伝統宗教を支えた層でした。その層が都市へと移動し、都市的な生活様式に即して生活するようになります。農家の子弟の大規模な離村向都、それが断続的に起こったことがこの時期の大きな特色です。

そして、コインの表裏として進行したのが、都市化という現象です。1920(大正 9)年の時点で、郡部人口は 82%、市部人口が 18%だったのが、1980(昭和 55)年には 23%と 70%に逆転しています。ここに載せているのは、東京都の社会増の数を示した研究ですが、ここからも人口集中が急激に起こったことがわかります。

この時期に大規模化した日本の都市を、ヨーロッパやアメリカの主要都市と比べると、非常に大きな特色としていえることがあります。それは、海外からの移民、異なる人種・民族的ルーツをもつ新住民がほとんど入ってきていないということです。

換言すれば、この時期の人口供給源は国内の農村部だったということです。これは、非常に大きな特色といえます。一般的な意味での「都市化」の特徴は、混住化によって、様々なルーツをもつ住民の共棲・競合によって社会・文化的なコンフリクト(緊張状態)が生じることが挙げられます。日本のこの時期の都市化の場合、欧米の諸都市のような民族的・人種的なコンフリクトはほとんど生じていないのです。

一方、この時期は「企業社会」化が進行します。1950 年代末から日本型雇用とか日本型雇用システムといわれるような労使関係が広がり、日本特有の会社員(サラリーマン)が増えていきます。俸給(給与)生活者が増え、格差は縮小し、生活家電の普及もあって生活様式は均質化し、中流意識が分有されていきます(一億総中流意識)。

都市化の進展

一方、1961(昭和 36)年には、国民年金、国民保険制度が作られます。これによって公的なセーフティネットが制度化されたわけですが、それ以外は残置されてしまい、その他生活保障は企業に丸投げされるという非福祉国家型の国家経営へと舵が切られます。

すると所得のみならず、雇用の安定度、生活保障の程度も企業規模によって左右されてしまう、いわゆる二重構造が常態化します。労働者は、月給(給与・俸給)をもらう労働者と、日雇いの労働者に分けられますが、この時期以降は前者のうち大企業と中小零細企業という雇用される会社の差が大きな意味をもつようになります。それ以前は、ホワイトカラーとブルーワーカーの断絶が大きかったわけですが、この時期以降は、どの企業に雇用されているか、ということの方が大きな意味をもつようになります。そして、労働組合の組合加入率がどんどん減っていくことが大きな特色として挙げられます。

高度経済成長期における日本の大都市の特質1 高度経済成長期における日本の大都市の特質2

1960(昭和 35)年に三池闘争という有名な労働争議がありました。これで組合側が敗れたことが大きな契機となり、それまで非常に大きな影響力があった総評(労働組合総評議会)のプレゼンスは低下し、以降の労働運動は(欧米型の産業別組合ではなく)企業主義的変質(労使協調・御用組合化)が加速していきます。

企業組合というのは、企業別に組織される労働組合です。大企業、大きな会社には労働組合がありますが、多くの中小零細企業には労働組合はありません。不安定な就労を強いられる非正規雇用者を統合するような労働組合が組織されていないこともポイントです。別言すれば、労働者の大多数が労働組合に加入していない、弱い労働者の受け皿がない、ということが特色です。そういった企業社会に統合されない周辺層に共産党と新宗教、とりわけ創価学会がどんどん進出していったわけです。それともう一つは、核家族化、家族の小規模化、さらに専業主婦世帯の増加という現象があります。

核家族化・家族の小規模化・専業主婦世帯の増加

戦前までは、第一次産業人口が圧倒的に多いわけですが、田舎の農家では男女ともに若い人間は働くことが当然でした。都会に目を移すと、女工、家事使用人、髪結い、女給をはじめとした接待業くらいしか女性の仕事はありませんでした。都市部の女性就業率は低かったのです。高度経済成長期に都市に人口が移動すると女性就業率は全体的に低下します。都市で専業主婦になる人が増えたということです。

一方、ご存知のように 1980 年代以降、女性の社会進出が進み、1990 年代に入ると共働き世帯との割合は拮抗します。その後、逆転し、近年では約 7 割が共働きです。つまり高度経済成長期は、核家族化が進むともに、日本の歴史の中でもっとも専業主婦が多かった時期ということがわかると思います。

都市インフラの整備と生活家電の普及は、家事労働の負担を軽減させますが、シャドウ・ワークの負担は主婦に集中します。性別役割分業がこの時期に固定化されていくわけです。

性別役割分業

繰り返しになりますが、企業社会の周辺には、組織化されない大量の周辺的労働者がいました。組織団体への参加状況ですが、1979(昭和 54)年に労働組合に加入していない方が約 80%、もちろん宗教団体にも加入していないと答えた方も多く、同じく約 80%です。つまり都会に出てきて、家庭と職場以外には、どこにも帰属先がないという人々がたくさんいたということです。

新宗教が伸びたというのは、都市への流入層を取り込んだということになります。地縁的・血縁的なつながりが希薄で、不安定な状況に置かれた流入層こそが新宗教の共鳴盤となったわけです。

都市への流入層の多くは、社会的下降移動を経験しています。社会的下降移動とは、生まれ育った村社会では、周りが自分のことを知っていて、いざというときには支えてくれる、そういう人間関係や生活基盤が移住先で失われてしまうこと、相対的に安定した人生を送ることができた田舎暮らしから、先行きが見えない不安定な都会暮らしへと移行・転落することを意味します。匿名的で皮相的な人間関係に特徴付けられる都会生活の中で、彼らの「気密室」「第三の村」の役割を果たしたのが新宗教だったということです。

立派な学歴を得て、いい会社や官公庁に勤める人間というのは、職場が全人格的なコミ ットメントの場を提供してくれたわけです。

しかし周辺層は、そういった場から疎外されています。このような事情がある中で、新宗教が人々の受け皿になったわけです。

新宗教の共鳴盤、都市への流入層(中下層)

一方、新宗教の教団組織というのは、性別、学歴、門閥、収入等の世間的な地位や肩書が通用しないフラットな構造が貫かれていました。言い換えれば実力主義・平等主義ということで、自分が頑張ればそれがきちんと評価される仕組みになっていました。このような組織は、大変魅力的だったと思われますし、伝統宗教や世間の様々な組織とは大きく異なるものだったでしょう。

新宗教の教団組織、布教・教化

布教・教化というのは、同じような悩みや不安を抱く、生活条件・生活感情を共有する人から行われることが効果的です。当時の大都市にはいろいろな地方からやってきたデラシネ(根無し草)が大量に存在し、彼らは相同的・同心円的な悩み・不安を抱えていました。とりわけ主婦層は、生活能力との兼ね合いから離婚の選択が困難でした。

理不尽な境遇に悩んでいても、現在のように離婚し、独り立ちすることは非常にむずかしかったわけです。そういったなかで、新宗教は、もちろん男性もたくさんいますが、とりわけこの時期の新宗教というのは、女性の悩みに寄り添い、そこへ有効な処方を与えることが大きな魅力となっていました。

主婦にとって、自分の悩みや愚痴を聞いてもらえる貴重な場であり、信頼できる仲間や先輩にも出会え、家庭以外で能力を発揮できる、やりがい、自信を得られる場でもありました。このように企業社会の拡大とともに増産されるサラリーマン世帯の主婦層を取り込みつつ、彼女らのアクティビティを発揮する場を鼠算式に増設することによって、この時期、新宗教は飛躍的な成長を遂げたわけです。

新宗教の教勢ですが、高度経済成長期以降、多くの教団の教勢は鈍化・停滞していきます。2000 年代以降は、停滞というより急速な縮小トレンドに転換していきます。ただし全ての教団が正確な数値を文化庁に届けているとは考えにくいわけで、その意味で確かなことはわかりません。各教団とも、会員減の実情を詳細に調べ、積極的に公表するつもりはないと思いますし、教団離れの実態は、外部の研究者は掴みにくいところです。

ただし総体として言えるのは、女性の社会進出が進むと、新宗教の中核的な担い手であり、活動主体であった専業主婦の絶対数は減ります。現状、多くの主婦は、子どもが小学校へ入学すると仕事(パート)に出ます。(働き方改革が遅々として進んでいないため)多くの主婦は、家庭と仕事をワンオペで両立させる必要があるため、なかなか時間の余裕がありません。子育ても今までは親戚とか、近所の人が手伝ってくれていたのが、近頃は、全て一人でカバーしなければならない状況になっています。

家族の小規模化が進み、単身世帯がますます増え、シングルマザーも増えています。そういった中で、宗教活動をする余裕がない、他人の幸福のために奉仕する余力がない、という人々が増えるのは仕方がないことだと思われます。これが、新宗教の停滞、教勢鈍化の大きな土台になっていると思われます。

また、かつてのように貧病争から鮮やかに救われたという体験を持った人が減り、感動的な法話ができない(聴けない)ということもあります。そして、団地化・マンション化によるプライバシーの問題、さらに情報化、オンライン・コミュニケーションの普及によ って本音でざっくばらんに喋ることが難しい社会状況が広がっているという問題もあります。

やはり、高度経済成長期までの家族モデル、性別分業モデル、組織モデルから脱却し、コミュニケーション・ツールをはじめ、新しい時代に対応することが多くの教団の課題といえるでしょう。

新宗教の教勢

高度経済成長期というのは、格差が縮小して中流意識が広く分有された時代でしたが、今はまったく逆で、格差が拡大し、新自由主義的経済政策のもとで、地方でも都会でもコミュニティがどんどん崩れてきています。そういったなかで、どういったところに布教市場を見出すのか、どういった運動のあり方が持続可能なのか、ということが問われている現状があるでしょう。

さらに内的要因として、これは教団側の変化ですが、新宗教というのは現世利益的なニ ーズに応える形でどこの教団も発展を遂げてきました。しかし、一定の規模に達してくると、マスコミ等の外部から批判を受けるようになります。それによって、露骨なご利益主義を撤回し、教えと実践の両側面において脱呪術的な合理化を図らざるを得なくなるという事情があります。

そうすると、つまり方便や御利益を強調することを止めてしまうと「ありがたい」とか「うれしい」という実感を得る機会が少なくなってしまいます。

また組織が発達していくと同時に官僚制も発達し、専従者が増えます。言い換えれば、組織内にサラリーマンが増殖していくことになります。叩き上げのアマチュア布教者の活躍が新宗教の躍進の原動力だったわけですが、時間が経過し、巨大教団化すると、実績や実力を買われたわけではない人たちが指導者として会員の指導に当たることになります。そうすると、生活実感を伴わない教義理解と信仰指導に陥りがちで、これがあまり人々の心に響かない、布教の役に立たない、ということになります。

教団の成熟化1 教団の成熟化2

信仰の喜びとか、ありがたさを実感する機会を十全に提供できているか、これが新宗教運動の生命であり、別言すれば教勢のバロメーターになると思われますが、教団のなかには動脈硬化が起こっているようなケースもあるのではないか。つまり、教団本部や執行部が指示した業務をこなすだけ、ひどいときにはやってるフリをしてるだけ、というケースもあるような気がしています。あまり活き活きとした姿で教団活動に取り組んでいないと、子どもが反発し、信仰を継承しないことにつながります。これはさらに大きな問題につながっていきます。

最後に 2030 年の新宗教の予測ですが、率直に言ってわからない、正確な予測は難しいといわざるを得ないです。基本的には、教団ごとに置かれている状況(高齢化率、地域分布等)、資源の違いがきわめて大きいため、自助努力次第で健闘する教団とそうでない教団とに大きく分かれていくだろうと考えています。ただし、新宗教運動全般の予測としては、悲観的にならざるを得ないというのが率直なところです。

新宗教の隆盛が高度経済成長の産物だという側面があるかぎり、低成長、人口減少トレンド下では、かつてのような伸長・拡大は期待できません。これは、ローカルな中小零細教団も、グローバルに展開した巨大教団もまったく同じだと思われます。

そして、かつてアソシエーションだった新宗教は、二世以降にとってはコミュニティとして存在しています。そこでは、コミュニティをどうやって維持するかという観点が非常に重要になります。家庭や地域における信仰継承が教団の命綱になるということです。そうすると、夫婦円満で子どもの成長に合わせて適切な教導ができているか、地域の先輩・後輩とのあたたかい絆・交流が維持されているか、こういったことが今まで以上に重要な意味をもち、ひいては今後の教勢を大きく左右することになると考えています。

2030年の新宗教の予測

一方、オンライン化がどんどん進んでいますが、これまで「おやこモデル」の教団は連絡・指導が非効率的だということが指摘されてきました。しかし、オンライン化にうまく対応できれば、導き系統制の連絡・指導の非効率性は霧消することになります。空間的な距離感は無化されますので。逆に、地区ブロック制(なかまモデル)の仕組みで、どうしても引き受けざるを得ない集会のマンネリ化への対応という課題は引き続き残ります。

いずれにしても、オンライン化の推進は、教団のなかに、やる気や能力がある人材がどれだけいるか、そして、そういった人材に活躍の場が与えられているか、ということが重要な鍵になってきます。そういう意味でも世代交代、若手の登用が課題になるわけですが、それが組織としてきちんと対応できているか、ということです。

幸せになりたいという人間のニーズは未来永劫変わらないと思いますので、時代に合わせたツールとノウハウを整備・提供していけるか、これがサバイバルのキーだと思っています。

オンラインサロンが新宗教と似ているという指摘もありますが、こういったところにも本格的に進出・競合していくのか。あるいは富裕層も増えていますし、資金・寄金の集め方も新しい手法が出てきています。新しいパトロンやドネーションを獲得し、余裕がある財政へと立て直しを進めながら、困っている人たちに手を差し伸べていく体制を整備する等、色々なことができるし、求められていると思います。伝統宗教と同様にオンライン上の法要や墓苑など、色んなサービスを整備することも課題としてあると思いますし、アジアをはじめとした海外市場のさらなる開拓も課題として残っていると思われます。

まとまらない話で誠に恐縮ですが、時間も押していますので、ここで私からの発表を終わらせていただきます。

参考文献