よろしくお願いします。今日は、「家族と新宗教――PL教団と生長の家の女性指導を中心に――」というタイトルでお話しさせていただきます。
発表の流れですが、――先ほどの問芝さんの発表でも触れられましたが――家族と宗教に関する鍵(キー)概念を確認した後、先行研究を参照しながら昭和初期に創立された新宗教であるPL教団と生長の家に焦点を当て、両教団の家族と女性に関する指導の特質を概括し、それがどのように変わっていったのかということを見ていきたいと思います。それを踏まえて、家族と新宗教に関する研究上の課題と論点を考えてみたいというのが発表の趣旨です。もちろんこの2つの教団だけで新宗教を代表できるわけではありませんが、議論の足がかりとしては適当じゃないか、と思ってます。PL教団は、立正佼成会と共に新宗連(新日本宗教団体連合会:1951~)の立ち上げに貢献し、中核的な役割を担った教団であり、生長の家は、今日の日本会議(1997~)の前身にあたる日本を守る会(1974~1997)の立ち上げに貢献し、きわめて重要な役割を果たしました。PL教団の前身である扶桑ひとのみち教団の創立は昭和6年、生長の家の立教は昭和5年です。この昭和初期に創立された2教団に焦点を当てることで、新宗教の中に流れている思想水脈のようなものの一端を浮かび上がらせることができるのではないか、そう考えています。
概念の確認ですが、社会学的には家(イエ)と家族というタームは区別して用いられます。家は、家産に基づいて家業を経営し、家政の単位となる日本特有の生活組織を意味します。家産というのは、田畑・山林から水利権まで、家の生産・生活を支える有形無形の資産を指します。家産は、家長の個人資産ではありません。家のもので、自分が死んでも超世代的に子孫に残さねばならないと観念されてきました。その家産を最初に作った人を「先祖」と呼ぶのが日本の慣行でした。嫡系成員、家長として家を継ぐ人ですが、これは長男というケースもあれば、末子だったり、姉取り相続だったり、色んなパターンがありました。嫡系成員が独占的に家産を継承・相続するのは、男子均等相続が基本である漢族の文化とは異なります。また、家のあり方というのは、同じ日本でも身分によって大きく異なっていました。例えばお公家さんだったら猶子(ゆうし)という制度が重要な役割を果たしてきたわけですが、それ以外の身分では猶子なんて言葉を知らない人も多い。あるいは武士のだいたい4割ぐらいは養子で家産(家督)を相続していたわけですが、百姓の場合はだいたい2割程度だったそうです。視点を変えれば、明治民法以前は、血が繋がっている長男が家を継ぐことが必ずしも一般的じゃなかったし、男性の姓が変わることもよくあることでした。身分や地域によって事情は様々ですが、女性が結婚して男性の姓に入るのが普通というわけではなかったということです。それが、人口の7%に過ぎなかった士族の規範・慣習を基にした明治民法が施行されることによって狭義の家制度が形作られることになりました。
これに対して家族というのは、世界中のあらゆる民族に見られる親族集団です。家と違ってライフサイクルがあります。結婚によって新しい家族が生まれ、そしてそのカップルが死んだらその家族は消滅します。さきほどのお墓の話を受けると、家の財産として、世代を超えて継承されることを想定してお墓を購入する主体がライフサイクルをもつ家族なわけです。必然的に様々な問題が生じます。そして近代家族ですが、先ほど丹羽さんも言及されてましたが、俸給生活者、都市でお給料をもらう層が生まれ、そこで主婦が生まれました。日本では、大正期に初めて主婦という新たな女性の生き方が発生したと考えられています。近代家族は、家事専従者である主婦と外で働く夫という役割分業がある新たな家族形態です。子どもを中心にした生活のあり方、成員同士が強い感情的包絡・紐帯で結ばれていることが特徴です。
近代家族は、戦前は少数派だったわけです。都会の月給取りのご家庭や当時「奥さま」と呼ばれた主婦は、国民全体から見れば少数派でした。当時、掃除機や洗濯機なんてものはありませんから、女中さんがいないと家事は回らないんです。料理や洗濯、裁縫、掃除、育児に介護。それが戦後になって、産業構造の転換と生活家電の普及とパラレルに近代家族が急増・大衆化していくわけです。女性が主婦になることが一般化し、多数派を占めるようになるのは歴史的な画期であり、きわめて大きな家族変動といえます。それまでは、幼い赤児の面倒を若い母親が付きっきりで見るなんてなかったわけです。おじいちゃんおばあちゃん、あるいは近所の年長者が赤児をおぶって面倒を見るのが当たり前でした。というのも、農家の嫁は貴重な労働力ですから、子どもの面倒を見てれば農作業には出なくていい(母親は家にいて子どもの面倒を見るべき)なんて発想はなかったんです。逆に言うと、育児ノイローゼや母子カプセルを生み出すような社会的規範はなかったんです。要するに、戦後に近代家族=主婦の存在が大衆化・一般化し、女性の生き方、家族生活のあり方が大きく変わったわけです。未婚率も減ります。それまで1~2割はいたであろう結婚しない人が減り、みんなが結婚して、二、三人子どもをつくることが普通だという考えが高度経済成長期に広がります。このような家族のあり方・女性の生き方――歴史的に見れば特殊な姿ですが――これが国民レベルで定着していくわけです。その後、周知のように女性の社会進出が進み、それに対応する形で1986年に男女雇用機会均等法、97年に改定、99年には男女共同参画基本法が制定されました。
現在、家族が抱えてる危機と呼ばれるものは、高度成長期に普及した家族のあり方と規範、それが立ち行かなくなってきている、ということを意味しています。戦後に普及した近代家族は、いわゆる人口ボーナス世代――5人も6人も兄弟がいる昭和一桁世代――の間に広がりました。当時は、育児・子育て、介護等は、きょうだい、あるいはイトコ、オジやオバなど家族・親戚に頼ることが一般的でした。逆言すれば、公的サービスを充実させる社会的機運は非常に低調でした。むしろ、幼い子どもがいるのに働く母親は非難の対象になることもありました。しかし、戦後を通して出生率は漸減し、家族・親戚兄弟の数は少なくなっていきます。そうすると様々な家事、とりわけ育児・介護を家族だけでサポートすることが非常に難しくなってきます。労働力の面でも経済的な面でも、心理的な側面でも。現状、働きに出ている女性が多数派なわけですけど、そういった中でも、男性の働き方もずっと拘束が長いということで、女性が賃労働に従事しながらも家事労働をこなしている二重の搾取というか二重の負担(ワンオペ)という状況があるわけです。私的領域とされてきた育児や介護への公的サポートの拡充がなかなか進まないことが、日本社会の抱える課題だと私は思っています。ちょっと時間の制約もありますので、次に進みます。
新宗教なんですけれども、まず1920年代、30年代に大きく教勢を伸ばした教団として、宗教史上重要な意味を持っているのが、ひとのみち教団・霊友会・生長の家という教団であります。これらの教団は、戦後にさらなる発展を遂げます。これらの教団に続く形で立正佼成会・創価学会は、未曾有の大発展を遂げます。世界救世教・妙智會・仏所護念会教団・解脱会など、その他様々な教団も高度成長期に大きく教勢を伸ばします。これが家族のあり方と密接に連動している、関係しているというのが、この発表の根幹的なモチーフです。簡単に言うと、主婦という存在が大衆化したから、近代家族が一般化したから、だから新宗教が伸びたんだ、と単純化するとそういうことが言えると思います。当然のことですが、主婦が少なくなると、新宗教の機動力はどんどん低下し、教勢は停滞することになります。
これは新宗教の教勢の推移を示したものですけど、だいたい、どこの教団も近年は衰退・縮小トレンドにあるということが指摘できます。自己申請ですので、あくまで目安ですが。
新宗教というのは、天理教・蓮門教・大本教・仏教感化救済会・円応教・天照皇大神宮教とか、如来教もそうですが、女性教祖が創始したケースが非常に多い。霊友会・佼成会・妙智會など共働の教祖も含めて非常に多いんですが、女性教祖が多いということと、女性信者が活発に教団活動を行うこととは意味が異なるわけです。戦前の新宗教は、やっぱり主要な担い手は男性だった。女性が教団の主要な担い手となるのは戦後の話ということが重要なポイントです。これは薄井篤子先生が言及されてたことですけど、天理教の場合、直属の大教会145のうち初代教会長が女性であった教会は5教会。これに対して立正佼成会の場合は、1954年の段階で結成された100支部のうち女性支部長は90%以上、つまり担い手の中心が女性になっています。新宗教において家とか家庭が、非常に重要かつ積極的な意義を持つ場になっていったと考えられます。ちなみに『新宗教 教団人物事典』には342教団が紹介されているわけですが、今回の発表では、昭和初期に創立して戦後に大規模な教勢拡大を遂げた新宗教として、ひとのみち教団と生長の家を取りあげます。これらの教団が、女性の生き方や家族について、どのような教えを説いていたのか、ということを具体的に見ていきたいと思います。
ひとのみち教団は、戦後にPL教団になるわけですけども、まずどのような人たちが信者になっていたのかというと、大阪の商工民を主力に急激に拡大し、東京・大阪をはじめ中小都市で朝まいり運動が展開し、中小零細経営者、俸給生活者、家庭の婦人、こういった人々が広範に全国に展開したと言われています。どういった教えを説いているのか。陰陽ですね、相補的結合を求める夫婦関係を神聖化する教えです。婦人は夫へ絶対服従の態度で従うことで和合は達成されるんだ、と。女性の生き方というのは、嫁とか母親の立場よりも妻の道を貫徹すべきなんだと。美しい妻であり続けること、旦那さんから愛される女性であること、それが大事なんだと、そういった教えを説いています。今の若い人からすればちょっと古臭いと感じられるかもしれませんが、当時は斬新だったんです。「夫婦座談会」という活動も男性と女性が対等に夫婦のあり方について話し合うわけで、当時としては進歩的です。「朝まいり」という活動ひとつ取っても、夫婦が共に出かけ、朝飯も教団が出してくれる。都会で生活する近代家族、主婦の仕事を減らすわけです。それから、夫婦の性の不一致が原因で生活の支障や病気が起こるんだと。夫婦陰陽の道は、「神業であると思ふて毎晩喜んで自分から進んで行ひます」「嫌がったり大儀がったりして怠る事なく、夫を大切にして毎晩喜んで自分より進んでします」と、こういう指導があります。夫にだけしかそうことはしてはいけない。こういった教えを説いていたということであります。
霊友会は、このような刺激的な語彙の指導はなかったと思いますけど、やっぱり特徴的なのは、佼成会をはじめとした関連教団につながる新しい先祖観ですね。これは非家的な先祖観であります。家ではなくて家族、つまり家産を最初に作った家の初代としての先祖ではなく、自分の血のつながったお父さんお母さん双系の先祖供養を説きます。つまり、経営組織である家のシンボルとしての先祖ではなく、家族のつながりを象徴する新しい先祖観を説くわけです。やはり、農業をしていない都会生活者、家産に基づいた生活をしていない近代家族の成員にとっては、その方がフィットするというか、しっくり納得がいくわけです。在家自ら先祖を供養する、それもそれまで家長の仕事だった先祖供養を家庭の主婦がやる。当時としては斬新な教えを説いたのが霊友会だったわけです。
それから生長の家の谷口雅春(まさはる)さんですね、ひとのみちと似たようなことを説かれています。夫婦は二人揃って完全な一人であって、男女両性の天分役割、陰陽の理(ことわり)を果たすことによって家庭天国が実現する。母となること、夫を愛する妻であることが女性の天分なんだとおっしゃってます。それから、下線部だけ読みますが、夫の愚かな行為・不貞は妻の心の影響から起こっている。また、同じように妻の愚かな行為ってのも夫の心の影響から起こっている。つまり互いの心が相手の行動をつくりだしているんだと。そして、愛されたいと思う前に相手を愛することが重要であり、決して相手を自分の所有物だと思ってはいけない、こういう教えが説かれています。それから、夫婦間の不幸の多くは性的不調和に発している。だからこそ、よく研究して良い夫婦生活を送るべきなんだと、こういった指導もなされています。
生長の家には、白鳩会という婦人組織があるのですが、その初代会長に就任したのが雅春さんの奥さんの輝子(てるこ)さんです。輝子さんという方がロールモデルになって、生長の家教団の女性たちは歩みを進めてこられた、という側面があります。輝子さん、旧姓は江守なんですが、江守家は(旧)士族です。幼い頃から尊敬し、大好きだったお父さんが12歳の時に亡くなってしまい、江守家は収入の柱が絶たれます。いいお家なので、お姉さんたちは大学まで行って教員になってるんですが、輝子さんは女学校を出た後、船場の商家に嫁ぐんです。そしたら、婚家が一年も経たないうちに破産しちゃって、23歳で離縁します。純粋な輝子さんはつらい思いを重ねるわけです。その後、大本教、綾部に行って、そこで雅春さんと知り合って結婚することになります。結婚後も関東大震災など、いろいろ災難が続くんですが、ポイントになるのは雅春さんの親(養父母)との対立です。雅春さん、生活ができないので、奥さんを連れて実家(養父母宅)のお世話になるんですけど、お金を稼ごうとしないんですね。夫婦ともお金に執着することを徹底的に嫌う潔癖症だったんです。ま、養父母から見れば常識がないというか、世間的に見たらど貧乏のくせに高等遊民のような生き方を志向しているわけで、ま、当然ですが、養父母は、雅春さんと輝子さんを詰るわけです。加えて、娘が生まれるんですが、娘の育児や教育方針を巡って、頭でっかちの雅春さんと養父母は激しく対立するわけです。で、輝子さん、ずっと病弱というか深刻な健康不安を抱えて生きてきたわけですが、雅春さんがひょんなことからヴァキューム・オイル・カンパニーという会社に就職し、英語力のおかげで高給取りになって生活が安定すると、不思議と病気も治って養父母との関係もどんどん好転していくことになるんです。その後、二人で生長の家という雑誌を創刊し、とんとん拍子で誌友を増やしていきます。輝子さんは、夫のサポートをすること、そして夫に愛されることに大変な充実感というか、満たされ感を覚えるんですね。お姉さんたちのように教師になって社会で活躍する生き方をしていなくても、夫を支え、家事や仕事のサポートに励むことで、この上ない幸せを手にすることができるんだと。そういう夫婦の心が一つになった時、初めて女性は幸せを得ることができるんだという、こういった体験の持ち主なんですね。なので、輝子さんは、没落したとはいえ家柄もいいし、女学校まで行かせてもらった才女ということもあるんですが、やっぱり生長の家の会員さんの憧れ、その憧れというのは、社会的な地位や名声ではなく、夫を支える妻の役割を全うすることで幸福を手にすることができた、そういう生き方を体現している女性という意味で憧れなんです。そういう女性像が、当時、増殖してきた都会の女性、近代家族の主婦たちの一つのロールモデルとして生長の家の躍進に寄与したということです。
つまり昭和初期に創立した教団が提供した教えを整理すると、夫婦関係を核とする家族の神聖化、女性役割の徹底化、家庭内の女性の地位向上、家庭・地域・社会において果たすべき使命を示し積極的な生き方を鼓舞する、こういうことが特徴として言えると思います。生長の家も先祖供養を大切にするわけですが、ひとのみち教団も先祖を大事にする教団です。霊友会と同様に新しい非家的な先祖観と簡便な先祖供養法を説いています。夫婦の和合にフォーカスする要因というのは、生活をサポートしてくれる社会的な絆が弱く、夫婦が力を合わせることが何よりも必要とされる都市小家族の現実に対応していた、ということがあると思います。伝統的な家の先祖観・道徳観を換骨奪胎し、愛情で結ばれた家族を実現させることこそ都市生活者のライフスタイルに合致し、心身の安定に寄与するものだったと考えられます。換言すれば、ひとのみち教団、霊友会、生長の家ともに、伝統的というか従来型の女性役割、すなわち多くの庶民にとってデフォルト(初期設定)だった農家の嫁としての生き方・常識を相対化し、新たな時代に即した女性の生き方・役割を示したところがエポックメイキングであって、魅力的だったということが言えると思います。
(戦後の家族変動と新宗教)戦前の時点でこういった教えを説いていた教団が、戦後に大きく伸長します。近代家族、夫婦制家族がどんどん増加するに従って、こういった教えを受け入れる層も増える、というか、そういう新時代の女性の生き方に対する指導へのニーズが大きく高まるわけです。これと連動して教勢がどんどん拡大する状況になっていく。1980年代までは、概ね新宗教の教勢は漸増傾向にありました。
やや細かく見れば、1970年代までの成長トレンドから1980年代以降はゆるやかな停滞トレンドへと移行していきます。教団差はありますが、2000年代以降に多くの新宗教の教勢は急速に鈍化・縮小していきます。新規の会員獲得、会員家族の信仰継承が難航する状況に陥ったということです。PL教団・生長の家も例外ではありません。両教団とも2000年代以降、急速な教勢停滞トレンドに入っています。以下では1970年代以降、つまり単身世帯が増え、女性の社会進出が進み、家族のあり方がどんどん変化していく時期にどのような教えを説いていたのか。1970~2000年という時期の女性と家族に対する指導の変遷を見ていきます。
生長の家から見ますけど、谷口雅春さんは戦後にアメリカからやってきた思想、基本的人権とか、そういう思想を好みません。男性と女性は元々神様が植え付けた使命が違うんだ、というようなことを繰り返しおっしゃってます。社会婦人として活躍するってことも一つの生き方ではあるけれど、それ以上に家庭で夫や子どもに尽くす、愛すると、そうすることによって真の幸せは得られるんだということをおっしゃってます。世代的な要因なんでしょうが、公共領域に女性が進出することに対する期待が低いんですね。家庭において母性を発揮することの意義を高調するというのが基本的な指導になります。
基本的に主張は一貫しているわけですが、凝り固まっているわけではありません。晩年は、家庭をつくるといっても婦人が過多の労働を受け持たねばならぬような旧態依然たる家庭をつくれと私は言うんじゃないんだと。家庭も時代と共に進歩している。来るべき家庭の理想像を心に描いてその理想像に近づくよう努力をすべきなんだと、そういう指導をなされてます。家庭というものが夫にとって、子どもにとって、人類にとって、重大な貢献をする場なんだと。雅春さんの実相哲学は唯物論を否定しますから、物資的な満足、消費による快楽が幸福だという考えを諫めるわけですね。
雅春さんは1985年に亡くなって、二代目は清超さんという娘婿、三代目はお孫さんの雅宣さんです。雅宣さんは、1990年に副総裁、2009年に総裁に就任されています。雅宣さんが若い頃、男女雇用機会均等法なんかが制定された時、どのような反応をされたのか、少し紹介します。
まず、架空の夫婦の会話ということで、寸劇みたいなやり取りがなされるわけですが、「夫の自立って知ってる?」って奥さんが聞いたら、「男の方が炊事したり洗濯したりすることだろ、共働きでもいいけど家に残された子どもはどうなるんだ」と、そういうふうなことを言わせています。
で、「家事だけでは満足できないという気持ちはよく分かる。しかしだからといって太古からおびただしい数の女性が受け持ってきた家事という役割の根底にある人間的な愛情や創造性までを否定することは適当ではないと思う」という発言をなされています。それから「夫の給料で生活できるはずの最近の女性が、家庭や子どもを犠牲にしてまで働きに出る理由が私には今ひとつわからない」といった発言もなされています。
男女雇用機会均等法っていうのは、これはウーマンリブと従来の雇用慣行を守りたい専業主婦の立場の妥協の産物なんだと解説されてます。また、女と男と全く同じ行動ができるように文化や生活様式まで変えろと言うような、こういった暴論には反対せざるを得ないんだということをおっしゃってます。
そして、「人間の考えで正しいとする方向に向かってそれを変革ないし破壊して一つの人知に基づいた理想郷を作り出そうという考え方は西洋的なものだ」と述べられます。それに対し、東洋というのは、無為自然というか、自然がほとんど神と同義で、そういう思想にあっては、人間の幸福というのは「人為の中にあるのではなく、むしろ自然の中にある」んだと。で、生長の家は、東洋と西洋の二つの思想的な流れを合一する運動だから、西洋的な発想のみに追従することはしない。西洋的な変革運動では人間を幸せにすることはできないんだと。こういったことをおっしゃってます。この時点では、夫の稼ぎで生活できる家庭がデフォルト(思考の前提)になっています。また、太古の昔から家族があって主婦が家事をやっていたという思い込み、この時の発言からはこういったことが読み取れます。
興味深いのは、97年、99年の法改正については、『白鳩』誌上に、ほとんど見解が出ていないということです。これは雅春さん没後の執筆陣の世代交代、あるいは教団内でいろんなことがあったのかも知れません。いずれにせよ、これまで女性とか家族に関して雅春さんが書かれた書籍やかつて語っていた指導を再録するという形で対応がなされています。
これに対してPL教団の方は、均等法やその改正に関する言及頻度が高いんですね。雇用機会均等法から2000年代に至るまで、これだけの特集が組まれています。また特集では、様々な統計データを紹介しながら記事が編まれることも特徴的です。どのような言及がなされているか、見ていきましょう。
「女性の社会進出は目覚ましいものがあります」。「しかしどんな変化の中でも、女性らしい美しさは失わない、というのが個人及び社会の願いでもあるでしょう」。国会でも「雇用均等など女性がらみの法案」が審議されているが、こうした変化の中に「新しい問題」が生まれてきている、それを見逃してはならない、と述べられています。PLでは男女は神の子として全く平等、これは個性を神様からいただいているという意味において全く平等なんだ、ということをおっしゃってます。一方で、いわゆる三歳児神話ですね。0歳から1歳半までの乳児期に母乳ではなく人工乳で育てられた子は、知能の発育が遅れる等の悪影響があるという説ですね。こういった、今の我々からすると、えっ?とか、あり得ないって感じちゃう説が機関誌で紹介されていると、当時の読者はやっぱり、母乳がいいんだな…子どもが幼いうちはずっと一緒にいた方がいいんだな…というメッセージを受け取っちゃったでしょうね。
それから87年の「働く主婦の仕事と家庭」という特集では、二人に一人が働きに出ている現状があるが、主婦が仕事と家庭を両立させることはたやすいことではない。いくつか乗り越えなければならないことがあるんだと。そこに躓くと家庭崩壊にもつながりかねないと、こう述べられてます。雇用機会の均等が、やっぱり手放しで喜んでばかりはいられない実情があるんだと。離婚率とか、主婦が家を空けることによって起きるいろいろなトラブルが紹介されています。で、指導としては、職場の疲れを絶対に家庭に持ち込まない、その決心をする。夫婦の愛情を高めるために私が今働いているのだという立場に立てば、心の疲れは感じないものだと、こういう指導がなされています。
ちょっとこれは今日の我々の感覚からすると、女性に厳しいな…と感じざるを得ない指導ですね。それからQ&Aです。いろいろ読者の方からQが来て、PLの教師の方がAをお答えになってます。たとえば、収入が逆転、夫が仕事をしないで遊んでばかりいるとか、仕事のことで夫が焼きもちを焼くとか、いろんな相談が記されています。その中に、夫が家事をまったく手伝ってくれない、という相談が寄せられています。それに対するアンサーが驚きなんです。「ご主人とよく話し合われることをお勧めします。テーマはいつもの「あなたはなぜ家事を手伝わないの」ではなく「私のパートについて」です」、つまり、あなたがパートをやっていること自体、もう一回考えなおされたらいかがですかって指導なんですね。
それから、99年の「あなたはカッコイイ女性?」というところではですね、あの、PL教団はとても雑誌が充実していて、いろんな著名人とか、芸能人とか、スポーツ選手とか、いろんなインタビュー記事があるんですが、この特集、回答がPLの教師ではなく、外部の方にアウトソーシング(外注)される形になってるんです。吉田ルイ子さんとか、兼高かおるさんとか、各方面で活躍されてる方にインタビューして、それを紹介するっていう対応がなされている。なので、生長の家が『白鳩』誌面に、均等法以降の改正均等法とかその辺の話に言及しなかったこととは対応が異なるんですけど、教団として、新時代の女性や家族のあり方に対して、正面から対応がなされているか、ということについては、これはこれでやや似たような、肩すかしのような印象を抱くんですね。
(家族と新宗教に関する研究の課題)まとめに入ります。昭和初期に創立された新宗教に分有された理想的な家族像は、愛情に基づく夫婦関係を基礎とした近代家族が前提となっています。当時は新しい女性の生き方に対応した斬新な教えでした。しかしその後、半世紀以上の時間が経過し、女性をめぐる社会状況、家族のあり方も大きく変化しました。女性の社会進出とそこにおける雇用慣行が問われた1980年代、生長の家やPL教団では、一貫して家庭を重視する教えが説かれ、女性の社会進出に否定的なトーンの指導がなされました。今日の我々の感覚からすると、家庭内無償労働への批判的視線が欠如している印象も受けます。ウーマンリブの立場から、シャドウワークに対する異議申し立てがなされていた時期ですが、そういった動向にはほとんど関心が払われません。そもそもそういうアメリカ的な発想は、教団の教えにそぐわないというスタンスだったと思います。それから時代的な制約からか、シングルマザーの孤立・女性の貧困への理解が乏しいという問題もあります。基本的に女性は男性の(妻は夫の)収入で暮らしていけるはずなのにどうして仕事をするんだ、こういった前提でものが語られるケースが多いですね。
それから、これが非常に大きいわけですけども、歴史的に見て非常に特殊な近代家族(性別役割分業)を日本の伝統的な家族のあり方だと錯覚して、これをいいものだと語っているということがあります。これが、2000年代以降の国家的な課題群、非婚者が増加し、単身世帯が増え、標準家族を基礎単位とした制度設計では、年金も、介護保険もそうですけど、社会保障が立ち行かなくなってしまう懸念があるのに、なかなかそこに手を付けようとしない、そういう問題につながっているように思えます。あくまで個人的な見解ですが、メタ的な視点で見たとき、さまざまな新宗教教団の指導も、政治家・官僚の先送り体質を容認というか助長する応援団になってしまったところがあったんじゃないか、と感じます。もちろん、これは新宗教だけの話ではありませんし、影響力は微々たるものかも知れませんが。ただ、人口減少トレンドに即した社会制度の再編を拒む同調圧力の一翼として、換言すれば、「このままで日本は大丈夫だ」という思考停止を促すムード、それを醸成する一翼を担った部分があったんじゃないかと、そう感じるんです。やっぱり家族が大事。家庭が大切。それはいいんです。それはすばらしいんです。しかし、家族を大切にするのが日本のよさだ、日本の伝統だ、日本文化の美点だ、みたいな言い方になっちゃうと、それが無言の圧力となって問題先送りを促す力になる、そう感じるところがあるんです。時間がないので、今後の課題なんですけど、これはここに書いてあるとおりです。会員の家族のあり方の実態把握を進めることが今後の課題です。はい。では、ちょっと唐突ですが、30分になりましたので、私の話はここで終わらせていただきます。ありがとうございました。
【参考文献】