東北大学名誉教授の鈴木岩弓と申します。今までのお三方は、専門を宗教社会学と名乗っていらっしやいましたが、私の専門は宗教民俗学です。宗教を見る際の視座がちょっと異なるのですが、重なる部分も広くあります。問芝さんにも非常に近いところで先祖祭祀の問題に関心がありますので、「家族と宗教」という本日のテーマを、とりわけ遺骨を納める墓の問題に注目してお話ししてみたいと思います。
まずは宗教民俗学的な視座について説明しますと、私は宗教者の視点というよりも一般庶民の視線から見て、彼らが宗教的なものに対してどのように考えて行動しているかにそもそもの関心があります。その点から考えると、宗教者だろうが一般庶民であろうが、人間は全ていずれ死ぬべき運命にあるということで、これまでのいかなる社会も死者と対峙してきました。いざ死者が生じると、死者の扱い、それが一般に「葬送習俗」なんて言われるのですが、いかなる社会もそうした習俗をもってきました。「葬送習俗」の直接的対象は、霊魂・肉体・骨の三種のレベルから考えることができると思います。まず人が亡くなった直後の「葬送習俗」として、霊の救済がなされます。平たく言えば、いわゆる葬儀を中心にその前後になされる宗教儀礼です。これは勿論、死者の霊魂を救済する意味でなされますが、他方で残された生者の霊魂の救済、いわばグリーフケアのような意味合いも含まれています。こうした不可視の霊魂を対象になされる行為に対し、同時並行的に急ぎ行わなければならないことは遺体処理ですね。遺体はそのまま放っておくわけにはいきません。そこで多くの場合は、火葬にするか土葬にするか、という選択がなされます。土葬の場合は土中に埋めるわけですから、それ以後の遺体はもう人目に触れることはありません。肉体は恐らく土の中で骨になってしまい、その後の時間経過と共に骨もいずれ土に還り、消滅することになるのでしょう。ところが、火葬はそうではありません。火葬することで、肉体はすぐに消滅します。火葬場での収骨経験のある方はおわかりかと思いますが、火葬炉からでてきた遺骨を見ると、ああ終わったんだといった、一種の安堵感みたいなものが漂って、泣いている人はまずいないと言われます。つまり遺体は、火葬場において短時間で肉は消滅し、骨のみが残るのです。高温で焼かれた骨はセラミック化され、簡単には消滅しません。そのため、焼骨をどうするか。これが、大きな問題となってきます。多くは墓や納骨堂に納めるのですが、散骨したり、手元供養したり、さらには「骨噛み」といって遺骨を食べる習俗すら聞かれます。火葬が普及して以降、遺骨の行方は、遺された人々にとって大きな課題となってきたわけです。墓を造る場合には、死後祀られないことを怖れ、自分を含め自分のイエの墓が無縁墓になってしまうことは避けたいという気持が強かったように思います。
さて、これまでの先生方のご発表の中にも出てきたように、近年よく聞く「葬送習俗」に関連した用語を思いつくままに挙げると、「墓友」「終活」「送骨」「永代供養墓」「家族葬」「直葬」「墓じまい」などが挙がります。こうした動向が顕著になっている背景にはいろいろな要因が複合していることが予想されますが、これらの中のとりわけ、「墓友」「墓じまい」「永代供養墓」「送骨」の背後には、共通して祀り手がいないことが底流しているのじゃないかと思います。祀り手がいない、つまり死者の面倒を見る人がいないということが、顕在化している現代ゆえに生じる動向ではないかと思うのです。言葉を換えていうなら、死者に“想い”を持つ人がいなくなってきたという言い方もできるのでしょう。少し前までの日本では、死者の面倒を見るのは家族が中心で、<イエの先祖は子孫が祀る>というのが大原則でした。これは少なくとも近代、江戸の中期以降から広まってきた慣行で、近代以降の日本ではこの考え方で先祖祭祀がなされてきました。
こうした問題を整理した研究者として知られるのが、柳田國男(やなぎた・くにお)ではないかと思います。先ほど問芝さんが森岡清美先生の話をされましたが、先祖祭祀の研究史を振り返るなら、森岡先生も影響を受けていらした柳田こそがその原点になるのではないかと思います。柳田は、『先祖の話』(1946年)の中で先祖を定義して、「自分の家で祭るのでなければ何処も他では祭る者のいない人の霊」と述べます。その背後には、死者は子孫から祀られねばならないとする考え方、これを柳田は「血食の思想」なんて言ったりもするのですけど、こうした思想に注目します。ちょっと余計なことですけど、柳田自身この思想を受け入れており、死後に祀られないことに対し、本心から恐怖を覚えていたのではないかと思しき文言がいろいろな所に散見されます。柳田は「死」をケガレと考えます。そのため、死んだ直後の死者はケガレに塗れた状況にあると考え、遺された人々も喪に服して社会から隔離されることになります。しかしそうしたケガレも、子孫が法事などの儀礼を繰り返すことにより、時間経過と共に浄化されると考えます。確かに五十回忌もしくは三十三回忌を「弔い上げ」と呼び、以後その死者のための法事は行わなくなるのが一般的です。「弔い上げ」が終ると、ケガレの取れた当該の「死者」の霊は個性を喪失し、代々の「死者」と共に「先祖」「祖霊」と呼ぶ抽象体に合体し、小高い山の上から子孫の生活を守護すると考えられています。柳田はこうして子孫の生活を見守る「先祖」こそが「氏神」であると言うのです。こうした解釈は、学的研究ではなく柳田國男の「祖霊神学」だと揶揄する声も大きいのですが・・・。子孫から祀られるためにはイエは永続しなくてはならない、それが柳田の主張である「家の永続」の希求、となるわけです。結婚したら子どもができなきゃいけない、子どもは男の子じゃなきゃいけない、男の子はイエを継がなきゃいけないといった言説が、少し前の日本では広く聞かれていたわけです。
ところが、「家の永続」を強く主張していた柳田は、戦後になると態度をガラッと変えているのです。戦後、民法が改正されたことを契機に、「制度としてのイエ」は崩壊するわけです。その動向を察知した柳田は、即反応します。しかし彼の当時の反応は余り取りあげられておらず、柳田は死ぬまで変わらずに「家の永続」を唱えていたと考える研究者も結構いらっしゃいます。実は柳田は、大変目端が利く人で、戦後の時代変化を見るやその主張がガラッと変わり、「家という群れが本当に壊れてしまうならば、その代わりとなって再び出現するのは、どんな群れであろうか」、と先の時代を見据えているのです。これは1948年の記述ですが、この頃以降、『世界』だとか『日本人』『故郷七十年』などにおいては、「家の寿命」なんて長く延ばす必要はないなどと言っているわけですね。
じゃあ、家に代わって死者を祀るソリダリティ(連帯社会)とは、一体何なのでしょう。この点の模索が、戦後柳田の課題となってくるのです。しかし柳田自身、なかなかそれが明確化できません。この辺が、戦後の柳田の悩みのタネだったと思うのです。で、中にはですね、イエの代わりに、自分と同い年であるという「同齢感覚」を共有するような人々、さらに言えば、いい友人グループなんていうのがそれに当たるんだということを言ったりして模索を続けておりましたが、確とした結論が出ないままに彼は鬼籍に入りました。ですから、「イエの代替を果たすべきソリダリティとは何なのか」という問題は、柳田の未完の課題として残されたままになっており、家族の変容が現実のものとなりつつある現在こそ、柳田がその究明をわれわれに托した宿題なんだろうと思っているところです。
つまり、従来、先祖祭祀というのは、イエの子孫の義務であったわけです。ところが、戦後民法からはイエが消滅しました。<制度としてのイエ>がなくなったんだけど、もう戦後78年、今では、世代交代によって<意識としてのイエ>も希薄化の一途を辿っています。そうすると、これも今までご指摘があったとおり、イエが機能していた時代には当たり前であった寺壇関係に揺らぎが生じることとなり、地縁・血縁・社縁などが崩壊してくるわけです。この点についてNHKは、既に『寺が消える』(1988年)というドキュメタリーで指摘しています。また鵜飼秀徳さんも『寺院消滅』(2015年)で触れられていることは、皆さんご存知の通りです。それから『無縁社会』今までお話が出てきましたね。こうしたことでも現れてきたということですね。つまり人と人との繋がり方に、従来までの家族からちょっと変化したということになるわけです。じゃあ一体、イエがなくなった時代、死者の面倒は誰が見るのでしょうか。これがこれからの我々に残された課題だろうと思うわけです。
そこで本発表では、墓を作る、勿論墓を作らないという選択もあるのですけど、とりあえず墓を作ると言う点から考えてみたいと思います。これを考える際、まず、「死者」とは誰なのかということから考えましょう。人間、我々人間はですね、人の間と書くわけですね。「間」があるということは、二人以上の複数の人間がいる。そう考えた時、まず我々は生者と生者の間で生きている。これは普段やっていることです。ただ実は、生者と死者の間でも生きてるというのが我々の生活だと思うんですね。お墓参りだとか、法事するというようなことを考えればすぐ分かることですけれども。これは見えない世界、不可視の話です。
ただ、身の回りの死者を考えてみたとき、家族・親族・イエの先祖・有名人があり、また慰霊碑や墓地があると、そこに葬られている死者が想定できると思います。では皆さん、墓参りに行くのは、一体誰の墓ですかと言ったら、ここで切れると思うんですね。一般には。そうした時、何でここの線で切れるのかと言うと、その死者に“想い”があるかどうかで二分されると思うわけです。
そこで、死者を論じる視角として、死者は見えないんで、結局最終的には自分がどう思うかという主観的判断になると思うんですね。誰もが私にとっての死者として対峙しているわけですね。とするなら、死者というのは、「意味ある死者」と「一般的死者」の2種に大別できるように思えます。他者論でよく言われる視点を、ちょっと援用してるんですけど。「意味ある死者」は特別な“想い”のある具体的死者を指します。家族・親族・知人などですね。それに対し新聞に出るような、事故死した人、殺人で亡くなった人などは「一般的死者」。これらの死者に対するは想い”は希薄で、抽象的死者と言えるかと思います。
二種のうち、問題となるのは「意味ある死者」です。私にとって“想い”のある死者というのは、申し上げたように家族・親族・知人・友人が一般的で、これはある意味では、「二人称の死者」となります。もちろん、これもその人間関係によっては、“想い”がない親族、“想い”のない家族というのもありうるわけで、その場合は、「三人称の死者」、一般的死者になるわけですね。 そこでさらに“想い”がある死者を考えると、その人と対面経験があるかないかで微妙な差があるんじゃないかと私は思っています。この世での対面経験がある死者とない死者への“想い”は一緒でしょうか。例えば、父親の祖父というのは対面経験がない場合が多いと思うのですが、その父親の祖父と自分が対面経験のある祖父とでは、その“想い”に違いはないだろうかということですね。結局、自分の祖父は二人称だけれども、父親の祖父は生物学上存在したのは間違いないが、会ったことはない。つまり父親の祖父は、二人称と言うほど親しくないが、三人称として切り捨てるわけにはいかないというわけです。そこで私は、こうした死者を「二・五人称の死者」と呼ぼうと思います。つまり“想い”のある死者というのは、「二人称の死者」のみならず、「二・五人称の死者」もいるということです。「二・五人称の死者」の例が、話題になっている先祖とか、震災犠牲者、それから英霊なんかがそうなんだろうと思うところです。
死者の記憶というのは最終的には忘却されるしかないんですね。だけれども“想い”がある限り、“想い”を持つ人がいる限り永続するものだと思います。結局、死者が記憶されるメカニズムはどんなものなのかと言うと、呼び方の変化で、二人称、固有名詞ですね、それが二・五人称、それが例えば先祖というものに一元化される、そして三人称として、単なる一般名詞の死者となる。つまり、「二・五人称の死者」というように間をかますことによって、死者の記憶の忘却が先延ばしになるわけです。つまりこの辺が、ある意味で死後祀られないことへの怖れというものをちょっと抑止する、そうした機能をもつのかなというところです。
そうしたことを考えた時、今日扱いたいのは永代(えいたい)供養墓です。まずは、永代供養墓はいつ頃から使われてる言葉かということなのですが、『現代用語の基礎知識』に永代供養墓の語が最初に出てきたのは2007年なんですね。この本に出てくるということは多分この頃から社会でよく聞かれるようになったことを示す指標になるかなと思うところですね、2007年が。
で、これの説明が、承継者がいなくても存続する墓だと。これまでは家の祭祀であったが、個人の祭祀へと移行している。血縁以外で将来墓を共にする者の生前交流、墓友も話題になってると。2007年版、2008年版、2019年版、少しずつ内容が変わってこう書かれてます。
つまり、永代供養墓建立の目的の一つは、墓の管理の永続性がイエの子孫じゃない、イエの子孫に代わった承継者を模索しているということになります。永代供養墓の宣伝文句に、「子々孫々の継承を前提とせず」とか、「家族に代わり」というのもあるのはそうした理由からです。そして、承継者を墓地の経営者とすることによって、永続性が担保できるとしております。そうなりますと多くは仏教寺院ですが、必ずしも限定されてはおりません。それから第二に、ただ墓が永続するだけじゃなくて、死者を悼む儀礼が必ず行われるということ。これが担保されてることも一つの重要なポイントになります。つまり、永代供養墓は、実は人によって言いかたいろいろあるのですけれど。これを最大公約数的にまとめるならば、「墓地経営者の責任におき、墓の管理と死者弔いの永続性が担保された墓」ということが言えるじゃないかと思います。それがゆえに、結果として合葬墓がすごく多い印象があります。
そこで永代供養墓の実態を知りたく思うのですが、全国を網羅する資料がなかなかありません。そうした中『永代供養墓の本』というのが刊行されており、その最新版、2015年の増補改訂六版に全国の永代供養墓の情報が書かれています。今ではこれの倍どころではなく永代供養墓があるはずですが、その全体を鳥瞰する術がないので、これを参考に傾向性を見ますと、2015年当時、全国に709ヶ所あるわけですね。
まず設置時期を見ますと、一番古いのは1928年、昭和3年です。それから現在までずっと設置されているのですが、一年当たりの設置件数の最多は1999年。その前後も多いですね。つまり永代供養墓というのは、世紀の変わり目前後から多くなってきたと言うことができます。
最も古いのは昭和3年。これは妙宗大霊廟という国柱会の施設です。ここに大きなカロートあるわけですけど、100万体入ると言われています。納骨を「宝塔」に納めてるシーンです。
それから、1985年に比叡山延暦寺大霊園できました。久遠墓地は個別のタイプですね。個別の墓石がずらっと並んでます。これが永代供養墓ですね。
それから「安穏廟」です。これは角田山(かくださん)妙光寺、新潟の日蓮宗の小川英爾(えいじ)上人のお寺に1989年に作られました。円墳状の安穏廟を分割した区画に納骨します。使用する際には安穏会員になって信徒として扱われますが、年会費の納入が途切れると13年経った後に総廟に合同埋葬されます。
また、これは今募集していませんが、女の碑(いしぶみ)の会、シングルの女性たちでつくった墓で「志縁廟」といいます。1990年開設で、京都の常寂光寺にあります。
同様に、男女問わずのシングルの人が作った「もやいの碑」があります。これは1990年開設で、東京巣鴨のすがも平和霊苑にあります。
永代供養墓の地域分布がどうなるかと言うと、どうもやっぱり都心に近いところに多く見られます。とはいえ全都道府県に最低1カ所はあるのですが。東京周辺が全体の41%、関東全体で55.9%で、首都圏に多いことがわかります。
宗派・宗教別に見てみると、天台は4%ですけど、真言が19%、浄土が21%、禅系が31%、日蓮系が16%とあり、神道も1%あります。宗派的に大きな偏りはなく、永代供養墓が個別宗派の教義に則って作られているわけでは無いことが明らかになります。
使用資格に関しては、多くは施設の宗派の儀礼執行に異論はないということが要となっています。その上で、檀家となるか否か。日本国籍か、国籍不問か。施設の宗派に限定されるか、不問なのか。全体として仏教系が多いのですが、宗教を一切不問とするのが57%になります。ただ在来仏教に限定する点にこだわる寺院は、17%見られます。また護持会とか、何か会員になることを求めることもあります。つまり永代供養墓の使用を通じた組織化が見られ、檀信徒とか会員といった言い方で括られることが多いですね。
遺骨埋納の方法もさまざまで、永久に個別の焼骨として埋納できる比叡山の久遠墓のような例がある一方、ある期間個別の焼骨として埋納した後に合葬する、さらには最初から合葬する、といったものが見られます。大雑把に言いますと。個別の埋納っていうのは個性が保持されるので「二人称の死者」と言えると思いますし、合葬するのは「二・五人称の死者」となるのでしょう。ここで問題になるのが、この時の「二・五人称の死者」を何と呼ぶかということです。檀家と呼んだり、会員と呼んだり。ともかくそこのところを、われわれ意識(we-feeling)、を持った、何らかの箍(たが)を作るということですね。われわれは一緒なんだっていう。こうした感覚を醸し出すことが求められるわけです。その点が、永代供養墓がまさに永続する上で重要なのだと思っています。数の上では檀家・檀信徒などの信仰縁が一番多いかと思いますが、血縁・地縁・社縁・学縁みたいなものも考えられるということです。
さて本日は、家族と宗教がテーマとなっておりますが、近年、家族概念に揺らぎが生じているという指摘があります。私がその点を意識したのは、携帯電話の「家族割」が示す具体的範囲を調べた時でした。何とびっくりしたんですけど、NTTドコモは三親等以内の家族・親族で事実婚・同姓パートナーを含む。これに対しauは、同居家族が大事なんですね。さらにソフトバンクでは同居してない家族、この家族ってなんだかわからないのですが。加えて遠くの親戚まで家族割に入るというのです。こう見ると、携帯各社の「家族」概念は、われわれが昔考えていた家族と大きく異なっており、あらためて驚いた次第です。
さらに似たような観点から、自分の家に飾る人物写真調査の結果があります。これはきっと飾る人にとってすごく大事な意味ある人、“想い”がある人なんだという前提で、それが誰なのかということを調査したことがあります。生者の場合も死者の場合も、ペットって結構多いんですね。ペットを飾る。想いがあるんですね。姑さんの写真は飾らないけどペットの写真は飾るとかですね。ちょっと、そのような感じのところがあるわけです。
こうした問題を考える時、先ほど問芝さんが触れられた森岡清美先生ですね。森岡先生は宗教社会学者であるのみならず家族社会学者でもあります。私も学生時代、この森岡先生の家族の定義を基にいろいろ考えてきました。「夫婦関係を基礎として、親子・きょうだいなど近親者を主要な構成員とする、感情融合に支えられた、第1次的な福祉追及の集団」というのがそれです。この定義は、1967年の『家族社会学』に出たのが最初じゃないかと思います。また1968年に初版が出て1997年まで版を重ねてきた『新しい家族社会学』でも取りあげられましたが、本書は教科書としては非常に長い時間刊行されてきた名著です。この版の違いで、若干用語が異なりますが、家族は組織面として血族・姻族で構成される親族の一部だと言います。親族の一部であるし、感情融合などの面があって、“想い”が醸成されていると。また家族の機能は、福祉追及というようなことですね。こういう指摘をこれまでの先生方がご指摘のように、近代核家族を理想とするモデルとしてやられてきたわけです。ところが先述の如く「家族割」の家族って、同姓パートナーも構わないんだから、親族組織に限らない個人中心のネットワークということです。また飾られた人物写真の方で、一人で写るところにペットが出てきてしまうのですね。もう、親族というよりは、人間じゃなくても「家族」になるということですね。こうしたことから、現代の家族というのは、前世紀の家族社会学で語られてきた家族概念と大きくズレてる。もしかしたら家族という言葉を、“想い”のある他者と言ったような、非親族をも内包するような形で言い換えないと、家族という言葉自体が非常に使えない用語になっているのではないかというふうに思う次第です。
最後に、永代供養墓にみる今後の課題に触れて終わりにします。納骨後の、経営者と利用者との関係をいろいろ調べてみますと、毎年来てもらっていますと納骨後も関係が継続しているところもあるのですが、そうではなくて、納骨したらもう後は一切来ないという話もよく聞きます。まさに「棄骨」という言葉があるのかどうか、永代供養墓に骨を棄てちゃうわけですね。その後は、一切縁を切るというような感じですね。利用者の括りは、檀家とは別組織になることが多いようです。そうした組織は「会員」と呼ぶことが多く、中には死後に同じ墓に入るということが縁になって、生きている現実社会で縁を結ぶという「墓友(はかとも)」にもなってそこの活動に参加している場合も見られます。そこで気になる問題が、永代供養墓をめぐって構成される組織の中に、永続性を担保するロジックは生まれるのかということだと思うんですね。先祖というのは子孫との系譜性の中で想いが出てくるようだと。永代供養墓の護持会や墓友というのは個人的関係。先ほど言った、そこにおける“想い”(≒we-feeling)は、どのようにして成立するのかというのが今後の大きな課題になってくるのではないかというふうに考えています。
さらに考えなくてはいけないのが、檀那寺が現在、“イエ亡き時代”を迎えつつあるという問題です。この写真にあるのは、寺院墓地内に作られている永代供養墓です。現在多くの寺では寺院墓地の一角に永代供養墓を作る、そうした動きが目につくようになっています。それは過疎地であっても同様です。しかし檀家は減少していくわけですね、人口の都市流出や宗教離れで。そうすると、檀家と檀那寺というのは世代を超えた関係ですけれども、その関係を支えてきたイエが消滅しつつあるわけです。そのため寺とイエとの結びつきが弱化し、ひいては寺院と社会の関係が希薄化しつつあるのです。こうした問題は実際日本全国各地に見られます。それが故に、独創的で行動力をもった住職が、寺院活動の活性化を導いている、そういう寺も見られるかと思います。またさらに、過疎化と寺院消滅。この問題は先述したように、NHK特集の『寺が消える』で取りあげられました。この作品は島根県の石見地方を舞台に、本山が気付かないうちに浄土真宗寺院が消滅していた事例を扱う見応えのあるドキュメンタリーで、これを初めて見た当時島根大学の教員をしていた私は、その動向に全く気付いていなかったことを恥じた覚えがあります。
過疎化と寺院消滅という問題が、今後大きな問題になってくることは、石井先生が既に指摘されています。2014年、日本創成会議により「消滅可能性都市」が指摘されたわけですが、2010年から2040年にかけ、若年女性人口、つまり、子どもが生まれる人口再生産できる可能性の低い地域がどれだけあるかを調べていくと2014年当時、896の市町村が該当してたわけです。ならばそういう消滅可能性都市に所在する宗教法人はどれだけあるのかを見ていくと、全国にある宗教法人の35.6%が消滅するんだと、石井先生は指摘されたわけです。高野山真言宗・曹洞宗・神社本庁・黒住教は、現在の40%の法人が消滅するというわけです。こうした時考えなくてはいけないのは、普通の寺が消滅すると、結局本寺あるいは本山が助けるしかないのだと思うのですが、実際問題、そうなった時に一体どうなるかということです。
ここで、私自身がちょっと関心を持っている本山納骨を見ることにします。これは大谷本廟、お西さんの施設なのですが、大谷本廟には納骨堂があったり周りに墓地がありますが、その中心が祖檀です。ここに親鸞さんの骨が納められていると言われ、親鸞さんの御許に骨を納骨する習俗が本山納骨です。
これは、今度はお東さんですけど、お東さんの場合は、大谷祖廟と言います。ここにもやっぱり親鸞さんの遺骨が埋もれていると言われており、そこへ一緒に埋もれるという話なんですね。どちらも祖師信仰の一形態と言えるかと思いますが。
これらの事例を考えますと、本山納骨というのは、その宗派の信仰縁という疑似家族的機能集団をもって、ここで永代に祀られることが担保される一種の祖師信仰と言えるのでしょう。浄土真宗教学伝道研究センターの調査によると、本山納骨を希望するのは伝統仏教の17.9%の人ですが、浄土真宗の信者、門徒に限ると45.5%が希望するという結果が出ています。この点から見ると、本山に骨を納めることも、一つ大きな要素になるんではないかなと考えてます。しかも、大谷本廟(浄土宗本願寺派)も大谷祖廟(真宗大谷派)も、以前までは分骨しかできなかったのに、現在は全骨納骨が可能なんですね。ということは、本山に骨を納めれば墓は不用になるわけですね。そうなってくると、親鸞聖人の遺骨がある本山は栄えるかもしれないけれども、末寺は滅びてしまうという問題もでてくるのでしょう。この辺もヒントに、寺院消滅が進む時代の受け皿として、本山納骨の活用も考えてみては如何かなというふうに思っています。今後の課題としては、イエ亡き時代、宗教教団がどのような形で生き残っていくかという点を、そうした根本的な問題と絡めつつ、これまであった先祖祭祀に代わる新たな死者祭祀の枠組みを考えなくてはいけないものと考えている次第です。以上で発表を終わらせていただきます。